ひと昔前は腕時計



みなさんまたまたこんばんはー!


この前ある雑貨屋さんに行った時にみかけた腕時計たち。

最近といいますか、携帯が普及しだしてからはめっきり無用の長物のような存在になった腕時計。

わたしの場合はなんとポケベルが消えた頃からずっと携帯電話は持っていなかったので、それで腕時計は宮崎に来る直前まではしていたものです。

ま、わたしがしていたのはシチズンの腕時計。

ちょうどカシオのGショックのような感じの腕時計で、昼間の太陽光で暗くなったら蓄光素材が秒針などに塗られていて緑色に鈍く光るものでした。

そのころの蓄光塗料は名ばかりのもので、光っているのはほんの15分くらいだったか。

今はルミノーバとかがあるので、かなり実用的な時間光り続けるものですね。

トリチウムはそういえば日本ではダメらしいですが、そんなこと言ったら原発はそれこそ違法ではないかなどと、そんな議論も311の事故後にネットではされていたのも記憶に新しいものです。

ま、何が言いたいのかというと、本当に必要なものは消えない。

文化と同じで、本当に生きていくのに必要なものは消えないというものです。

逆に言えば生きていくのに必要不可欠なものが文化と言っても過言ではないように思考するものです。

それにしても腕時計って、懐かしくないでしょうか。

携帯嫌いなわたしであるくらいですから、今は腕時計は持っていないものです。

縛りが嫌であるものです。

時間に支配されているような、そんな日常が愚かで馬鹿馬鹿しく感じているからであるものです。

日が昇ったら自然に目覚めて、陽が薄暗くなれば帰宅し、暗くなれば基本的には眠る。

夜のコンビニもないほんのひとふた昔前。

夜空に浮かぶ星も今よりははるかに多く見えたものです。

流れ星も頻繁に見かけることができた時代。

ま、今でも山奥に行けば、例えがふさわしくないものですが、それはそれは水疱瘡のように星空が広がり、それはそれは綺麗であるものですが。

はなしがはずれてしまいましたが、腕時計をしていたころが懐かしくてついつい下らないカキコとなったものです。

わたしの創造していく世界に携帯は存在しません。

コンビニも。

最近はすれ違う人の多くが携帯やスマホなどの画面に取り憑かれたように視線と意識を集中し、きっと彼らはわたしとすれ違ったことにさへ気がつかないまま通り過ぎているのでしょう。

おうちに帰って、家族がいる人はみんなで顔をあわせながらおしゃべりして、それからすればいいのになどと。

身近なものに、時には視線を向けてみては亞? などと、そんなことを思っていたものです。

ま、なんだか支離滅裂なカキコになってしまった今日の記事でしたッ!

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ブロ友のおこちゃんさん最近はノリノリッ!




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[ 2014/07/22 22:40 ] 悪魔的雑貨 | TB(-) | CM(2)