
うまれて始めて埴輪や土偶を見たのは小学生の低学年くらいの頃でした。
なにかのお土産かでお母さんが貰ってきたものがそれだったものです。
まあはじめてみた時はこれは宇宙人?となんとも不思議に思ったのを覚えているものです。
どうみてもなにやら人間のようで人間でなく、人間のようだったとしても宇宙服を着ているようで不思議ッと思ったものです。
でも今のわたしはそんな不思議は不思議でもなんでもないという確信に至っているものなのです。
確信に至るまでの長い道のりはまるでそれはTVを含むメディアによる洗脳からの脱出というものに似ているものでした。野を越え山を越えて沼に足をとられて転んでまた立ち上がってというように、それはそれは大変な覚悟と勇気が必要な脱出というものです。
少なくとも、明らかに今わたしが考えるようなことに至らないように必死にこの世の雑誌の片隅まで利用して執拗に権力者に都合のいい情報を刷り込むという犯罪が、わたしの今の日常の中に腐るほど見つかるものなのです。
わたしは夢を持ちますが、それは与えられた夢というものでなく、わたしがココロから希望するものです。
それはそれは大変な夢、大きすぎてひとりでは無理ッ!
個人的な夢かも知れない、そう思っていたらそうでもないものです。
アレが欲しい、アレになりたいは欲望の内なものです。
アレを手に入れて何をするのかしたいのか!
アレになってから何をするのかしたいのか!
そこからがほんとうにものすごく困難で、でもそれだけに価値があるしワクワクするものなのです。
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